あの日見たAVの名前を僕達はまだ知らない
こんばんは、エントリが某アニメ作品のパクりになっています。ファンの方には大変申し訳ないと感じています。
先日、Twitterにて懐かしい光景を見かけました。それはドブ川にエロ本が捨ててある有り様です。その画像を見た瞬間、劣情よりも懐かしさが感じられ、多少の混乱すら覚えました。これが「気持ちになる」だろうと1人で納得していました。
そんな訳で、今回のテーマとしては
「なぜかドブ川に捨てられている性」
を設定したいという所存です。
これは謎なのですが、街中の有り様の1つとして、ドブ川に性が置いてあることが自分の経験にはあり、比較的幼少期から発生しやすい性イベントとして挙げられます。この場合の性はエロよりも、どちらかといえば事故の意味合いが強く、毒物として認識されやすいです。本能的にそれが性的魅力を持っていると分かり、欲求も感じるのですが、当時(6〜7歳)の私には刺激が強過ぎて吐き気のような気持ち悪さを感じていました。これは経験です。
さらに、落ちているのがドブ川であるというのがポイントで、目の前に宝があるのにも関わらず、指を咥えて遠くからそれを見ることしかできないという状況が出来上がり、これがまた性に対する興味や欲求の葛藤を生むことにひと役買っていると考えられます。
そして、そんなことと同時に、中学生時代に所持していた洋物AVを母親氏に回収されていった現象が思い出されます。その時に感じた(自分にはまだ性的消費は早いのだ。)というものや理由の分からない怒りなどについては言及すると真面目な話をしなくてはいけなくなるので、それは今後の開催が検討されている、大ジェンダー展やフェミニスト展にまかせましょう。
そんな訳で今回の結論としては、更新を頑張ろうとすると急に日常生活を営むことに困難が生じ、厳しくなることが挙げられます。日常生活が満足に送れない不満を、更新することで補償的に解消するという悲しき化け物です…どうしてこんなことに…
本日は本当にありがとうございました。